「それ学は、人の人たる所以(ゆえん)を学ぶなり」(吉田松陰)
教育維新の必要性
私は今の日本に最も必要なものが「教育」だと確信しており、これが人生をかけるべき自分の「山」、そして使命です。みなさんは現代の教育についてどんな印象をお持ちでしょうか?今日は現代の子供たちにどんな教育が必要なのかをお伝えしたいと思います。
そもそも教育とは何か?国(文部科学省)が定めた教育基本法を見てみましょう。
「教育の目的は、
A:人格の完成を目指し、
B:平和的な国家及び社会の形成者として、(以下の徳目①~④を有する)心身ともに健康な国民の育成を期すること。
①真理と正義を愛し、
②個人の価値を貴び、
③勤労と責任を重んじ、
④自主的精神に充ちた 」
これが戦後の日本が制定した教育基本法の第1条です。素晴らしく壮大な事が書いてありますよね。吉田松陰の言葉にもあるとおり、学ぶとはすなわち人が人である理由を学ぶこと、つまり人間らしさ・人間性・人間力なのです。教育基本法では、人格という言葉がそれにあたると思います。
では、実際に教育の現場で行われていることはどうでしょうか?残念ながら、この目的を果たしているとは言えませんし、果たそうとしているとも思えません。
アジアと言えば植民地化が進もうとしていた時代に、日本は欧米列強に立ち向かい、原爆を落とされて大敗をしても世界196カ国中3位の経済大国にまでのし上がってきたことは偶然ではありません。日本人として誇るべきその要因は、アメリカも恐れた日本人の人間性です。学校で教わらなくとも、自然と身についていた武士道をはじめとする国民性が資源もない日本が世界の主要国家になれた要因です。
日本人の並外れた精神力に脅威を感じたアメリカは、戦後の日本の体制を立て直す際にもうアメリカに歯向かうことがないように教育改革を行いました。我々が平和を重んじるようになったことは正しい歩みだったと思いますが、日本の長所であったその人間力を発揮できないような体制を敷いたのです。それはつまり、徳性を育むのではなく知性(知識技能)を育むことに重きを置くというものでした。
知識は、持っているだけでは何の役にも立ちませんし、知っているだけでは意味がありません。それをどのような道徳心によって使うかが大事であり、そうであってこそ知識はその価値を発揮します。
ものごとには、「本末」があります。例えば木であれば、根っこから中心に伸びる幹がここで言う「本」であり、そこから伸びる枝や葉、果実などがその「末」です。人間としての「本」は、まさにその徳性・人間性であり、「末」が知性(知識技能)です。徳をおさめる学びを「本学」、知識技能を学ぶのを「末学」というのです。
日本の教育は、本学を忘れ末学ばかりを子供たちに求め、追及してきてしまったのではないかと思います。その反動が日本国内の様々な社会問題にも現れてきている気がします。
末学も大切です。しかし本学があっての末学であることを再認識する必要があると思います。
知識も技術もテクノロジー等の全ての発達に伴って、それらを使う人間側も成長をしていかなければならなりません。そうでなければ、せっかくの知識や技術・テクノロジーが悪用され、人類を豊かにしてくれなくなってしまうからです。
人の根っこである人間性が成長すると、その枝である勉強やスポーツでより自分でも信じられないような成果を残すことができるんです。一度きりの人生、是非夢を叶えましょう。思いっきり生きてみましょう。一緒に根っこを伸ばす学びを深めてみませんか?詳しくは「スポーツマンシップラーニングセンター」をご覧ください!
プジョル