「真理は顔だちはよいが、粗末な着物を着ている。」(イギリスのことわざ)
「真の幸福は眼に映らない。真の幸福は見えざるものの中に住む。」(エドワード・ヤング)
本日はNLPの前提シリーズ第4回です。NLPとは?やNLPの前提って?と言ったことに関しては、NLPの前提シリーズ①に書きましたので、そちらをご覧ください。(https://puyoleducation.jp/nlp%e3%81%ae%e5%89%8d%e6%8f%90%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%ba%e2%91%a0/)
④その人の行動はその人自身ではない
今日は4つ目、他者理解につながる前提のご紹介です。この前提は、コミュニケーションの大原則でもあり、基本的に相手にネガティブな行動や発言が見られた時に思い出してほしい原則です。
一般的に、人は相手の言動からその人がどんな人なのか、判断し評価を行います。特にスポーツの監督やコーチの立場にある人は、必ず普段の生活や練習の様子から判断し、試合に臨むメンバーを選ぶ場面もあるでしょう。学校の先生も、毎学期生徒全員の評価を行わなくてはいけません。
しかし、目に見えるその人の行動や言葉だけでは、その人の全てを理解することはできません。
人は何かを行動したり、言葉を発する時(これも行動の一部ですが)、神経を伝わって脳から指令が出ているのですが、その脳内では必ず削除・歪曲・一般化という情報処理がなされています。つまり、自分の都合の良いように、自分のその時の状況に最も適するように行動も言葉もいらないものは省き、時には事実を捻じ曲げ、また自分の真実を隠し一般的なものに適応させているという事です。
もう少し別の表現で説明します。
人の心には、本心を感じる感性を持った「自我」と、理性的に考え世の中に適応して生き延びようとさせる合理的な考えに元づく「自己」という2人の自分が存在しています。その人の本性、その人自身を表すのが感性の自我、世の中に対して都合の良いように仮面を被り、削除・歪曲・一般化して適応しようとするのが理性の自己です。
人は、特に大人に近づけば近づくほど、理性的な側面が強くなり、感性を抑えるようになります。
例えば知り合いの方にいたのですが、趣味のゴルフを極めたい(本心)けど、子育てや仕事で忙しいから今はできないので、ゴルフはやらない(理性)というようなものです。それを見た家族や周りの人は、子育てに熱心ないいお父さんだと評価するかもしれませんが、その評価にはそのお父さんの本性は現れていません。
つまり、本当に相手を理解したいのであれば、その人の表面的な行動や言葉など、目に見えるものから判断するのではなく、その根本にある目的や感性で感じる部分(=自我)を見抜かなくてはいけません。これができる人は、一瞬で相手との信頼関係を築きます。
基本的には多くの人が、日常のほとんどを無意識で生きています。なので、本心で生きていません。意識的に行動しなければ、現状に適する行動を自然と取るものなのです。そして本心で生きないと自我対自己の衝突が生じるので、葛藤や悩み、不安などを抱えるようになります。
世の中でいわゆる成功する人、上手くいく人は、しっかりと自分の感性に心を傾け、無意識でも自分の本心で生きている人です。こういう少数派の人もいますが、そういう人はイキイキとしていたり、無意識ではコントロールできない表情や雰囲気などが伴います。
繰り返しですが、今日の前提は主に相手にネガティブな行動や発言が見られた時の原則になります。なので、一見相手が不適切だなと思われる行動や発言をしても、それはその人自身、つまり本性を現していないので、しっかりと相手の本性・深い部分を探って理解し、尊重しようとする必要があるという事です。
私の尊敬する吉田松陰は、その教えの中で強く性善説(人は生まれながらにして善なる存在であるというもの)を主張していました。このNLPの前提からもそうだと言えますが、基本的に人はその人の世界の中では100%全を尽くして生きているのです。必ずその人自身にとって良いことのために行動をしています。
しかし自分と同じように相手にも相手の世界があるという事を学ばないと、自分勝手な行動ばかりとるように見えてしまうのです。なので人間は生まれながらにして善な存在であるが、人間は神様とは違い不完全な生き物なので、ミスや失敗を犯します。しかし善ある存在なので、人はそこから学び、成長していくことができるのです。
大人から子供に成長していくにつれ、人生は自分だけではなく、他人や他社のことを考えるという視点、つまり自分と相手を超えた第3の視点(英語でいうところの3人称単数)を学んでいくものなのですが、現代の教育のせいか、大人になっても自分の世界だけで生きている人が多いような気がします。
犯罪や事件などもそうです。自分の世界に害が及ばないように、危険な存在を殺してしまう。自分の空腹を満たすために万引きをしてしまう。意識的に学ばないと、何歳になろうとそうした生き方をしてしまう可能性があるのです。
つまり、教育とは、「一人一人が持っている本性=自我の部分を大いに引き出し、いかに他者や社会のために発揮できるように導いてあげること」だと思います。
そのための第一歩として、相手を目に見える行動や言葉で判断するのではなく、どんな善なる思いでその行動や発言をしているのかを汲み取り、相手の本性を理解してあげることが大切だという事です。
私自身、もちろんまだまだ修行中ですが、これを私に教えてくれた人は本当に卓越した観察力をもっており、常に細かいところまで見て気を遣い、一瞬で私の本性を見抜かれていました。こんな人に子供が育てられたら、個性どおりのびのび育ち幸せだろうなと思い、私もその状態を目指して日々学んでいます。
意識しなくては絶対に習得できない、人生を豊かにするコミュニケーションを、是非子供のうちから体験し身に付けていきませんか?ご興味がございましたら是非「スポーツマンシップラーニングセンター」をご覧ください!
プジョル